コーヒーといえば、ナポリ。
ナポリ人ほどコーヒーに精通した人はいないといっても過言ではないはず。1杯のコーヒーに込められたこだわりは相当なもので、コーヒーは熱々でなければならず、注ぐのは前もって温められたカップに。コーヒーを飲む前にはコーヒーの風味を楽しむために、まず水を飲んで口の中をキレイして・・・などなど。バールによっては持つのも困難なほど熱いカップに入ったコーヒーが出てくることがあったり、水は炭酸水か炭酸なしか選ぶこともできます。
最高のコーヒーを出してくれるバールでは、いつも「’na tazzuletta ‘e caffe(コーヒーを1杯)」といって、朝起きたとき、昼食の後、食後の消化を促すためにと、ナポリの人が次々にコーヒーを注文していきます。もはや、ナポリの人々にとってコーヒーは歯磨きやお風呂に入るのと同じように生活の一部であり、それでいて友達のような、気晴らしのような、人生における楽しみのような・・・そんなもののように見えます。
ナポリの人に、人生でもっとも大事なものをあげてもらえば、必ず、その中にコーヒーが入ります。昔、ナポリの富豪たちは、捕虜から釈放されると、すぐさま隠していたマットレスを探しました。そのマットレスの間に何キロというコーヒー豆を隠していたからです。当時、コーヒー豆は闇市場で売れる貴重な財産だったそうです。
それにしても、どうしてナポリは“コーヒーの街”になったのでしょう?すべては、ポルトガルの国王かつブラジルの初代皇帝ペドロ1世と、ナポリの王であるフェルディナンド4世の孫娘にあたるマリア・レオポルディナの結婚から始まりました。2人がブラジルにある所有地へと出発するときには、ナポリ出身の有能な人物を執事として携えていたことから、ナポリへのコーヒー輸入が始まったといわれています。このようにして、ナポリの人々とコーヒーのゆるぎない繋がりが生まれました。
コーヒーへの溢れんばかりの愛によって、ナポリでは新たなコーヒーの淹れ方も生まれました。それが、ナポリ式コーヒーメーカー(macchinetta napoletana)です。このようにして、コーヒーはますますナポリの人々にとって手放せない飲み物となっていきました。ところが、第二次世界大戦がはじまると、コーヒーがナポリの街に届かなくなってしまい、ナポリの人々はこの貴重な飲み物をチコリで代用していました。
その後、アメリカ兵の到来によって本物のコーヒーがナポリに戻ってきます。コーヒー豆が積み込まれた保管所では、昼夜、厳重に監視が行われていました。当時、そこではソレント出身の若者3人が倉庫係の役目を代行していましたが、目の前にあるコーヒーが味わえないことが残念でたまらず、若い娘を使ってアメリカ人兵士が気をとらわれている間に、こっそりコーヒー豆の入った箱を盗み始めました。このようにして、チコリで代用していたコーヒーに終わりを告げ、ナポリの街には再び本物のコーヒーの香りが漂い始めたということです。
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